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字が汚いと何が困るの?就活で手書きの履歴書が賞賛される謎

就活生は多くの履歴書やエントリーシートを書いていると思いますけど、基本的に手書きですよね。パソコン印刷を指定されるとき以外は、手書きで書いて出していると思います。手書きダルいですよね。私も当時ダルくて、それがきっかけで就活やめました。本当にムダとしか思えなかったです。それは今も変わっていなくて、手書きにさせる、またはパソコン印刷を認めない理由がよく分かりません。実際、手書きにしてこいと言ってくる企業は少ないものの、世の中の風潮として、またはアドバイスする人は間違いなく手書きを勧める。パソコン印刷は何故か手を抜いているように思われる謎もあります。これは手を抜いているのではなくて、効率化しているだけだと思うのですが。履歴書とかエントリーシートって、そのものが大切と言うよりは書いてある内容こそが重要なので、内容にこだわるならともかく書式にこだわるところはよく分からないのです。

 

実際、字を見て人格が分かるとか、性格が分かると言う人がいるのですが、それが字を字を見ただけで分かるならば、面接って何のためにやるのでしょうか?いらないじゃないですか?あと、字が汚い人は採用したくないとか言っている人もいます。字が汚いことの何が問題なんでしょうか?字が汚いことで困ることあります?解読府あk脳レベルならまだしも、読める範囲ならば字が汚いことでいつ困るのでしょうか?イマドキ、手書きで文書を作成する機会ってほぼない。それこそ社員同士の連絡くらいじゃないですか?他社に持っていって見せるものなどは当然印刷ですよね。だから、社内でしか字を書く機会ってまずないと思うんですよ。社内ならば、字が汚くたって、読めれば何の問題もないですよ。逆に字が綺麗でも得することもないんですよ。ただの連絡手段でいちいち字を綺麗に丁寧に書くメリットもないですからね。それこそただの時間の無駄だと言われてしまうでしょう。

 

何か、日本人って本来必要なツールが果たすべき機能に加えて、特別な価値を付加しすぎじゃないか?と思います。例えば。言葉ですよ。「日本語の乱れ」とか言われることもありますけど、例えばら抜き言葉とか言われますけど、結局伝わっているんだから何の問題もない。「考えれる」とか使ったって、真意は相手に伝わりますから。言葉ってのは相手と意思疎通を図るためのツールなんですから、意思疎通ができればそれで良いわけなんですよ。別に正しいルールに全て則って話さないといけないわけじゃない。結果的に伝わればそれで良い。そんな細かいところにこだわる意味はないんですよ。あと、昨今言われているキラキラネーム問題もそう。名前って言うのは、そもそも他社と識別するための記号なんだから、キラキラネームみたいな他社にはない名前こそが本来の名前としての機能なんですよ。ありきたりの名前をつけることは名前の意味がないわけです。名は体を表すという言葉もありますが、これも本来は個人を識別するためのツールである名前に別に付加価値が加わってしまった例ですね。

 

そういうわけで、字が汚くて困ることが仕事の中でそうあるとは思えない。ということは、字が汚いくらいで、それを理由に落とすというのは、仕事とは無縁の要素を理由に不採用にしているということであり、そんなことを堂々といえてしまう人事ってどうなの?と思いますよ。キラキラネームを理由に不採用にする人事もいるようですが、こちらも同じ理由でこの企業大丈夫か?と思えてきます。まあ、採用活動の自由があるので、そういう理由でも不採用にすることは可能ですが、個人的にはそういう企業には入りたくないです。あと、志望度を測るためのフィルターに使っているという声もあります。それはどういうことか?というと、要は手書きみたいな手間のかかることをさせれば、本気度がある程度ない学生は応募してこない。わざわざ手間をかけてまで応募してくるのは、それなりに志望度が高い学生だ!という意見みたいです。

 

ただ、これもありえないってことですよ。だって、手間がかかるからそんなことをしてまで応募してくる学生は志望度が高い学生だ!と言えるのは、他社がほとんど手書きの履歴書を受け付けていない場合だけですよ。つまり、他はパソコン印刷等、手書きなんかしなくて良いと言っている。その中で、うちだけがあえて手書きを課している状況ならば、他の企業応募すればもっと楽できるのに、あえて辛い課題を与えている自社に応募してくる学生は相当入りたいと思っているんだな!と考えることも可能でしょうけど、手書きの履歴書ばかりじゃないですか?どこの企業も。だから、手書きの履歴書を書いてきた学生は、当然別の企業でも手書きで書いて出しています。他の企業でも、全く同じ手間を惜しまずにやっているので、特別自分の企業への志望度が高いということにはならないのです。他の手書きの履歴書を書いて出している企業と客観的に見たら志望度は一緒です。

 

そういった理由もあり、私は手書きの履歴書をいつまで続けるの?とおかしくないか?と疑問です。中にはパソコン印刷を指定してくる企業もあります。字を見て、その人に対する印象が決まるのは分からないでもない。でも、すでに述べたように字の綺麗さとか、汚さとかが仕事に影響を及ぼすことはまず考えられない。ならば、パソコン印刷の履歴書ならば、そういう関係ない要素を排除して、採用を決めることができますよね。逆に手書きの履歴書は、そういう仕事に関係のない要素がどうも頭の中に入ってきて、採用、不採用を決めるにあたって、大きな影響を与える。そう考えると、手書きの履歴書を課している企業というのは、自ら明らかに非合理的な採用方法をしてしまっているということになるのです。手書きの履歴書礼賛の日本独特の文化はいい加減にやめませんか?

 
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