リア充、非リアも関係ない!楽しい大学生活を送るには?

現役の大学生などが充実した毎日を送ることができるように、有益な情報を提供していきます。※当ブログではアフィリエイト広告を利用しています。

【当ブログでは記事上部や下部、サイドバーなどでアフィリエイト等の広告の掲載をしています。】

文系が大学に行く意味や理由は?勉強する意味やメリットはあるのか?行くべきなのか?

文系の学生が大学に行く意味や理由って何でしょうか?唐突に哲学的な話になってしまいましたが。勉強をするってことは実体が見えづらいものであるため、その効果が測りにくいのです。だから、特に文系が大学に入る意味って分かりづらい。想像しづらい。すなわち、大学に入って法律を勉強しました。卒業後サラリーマンになりました。法律の知識はほとんど生きませんし、生かす場所もありません。こういう結果から、大学に入って勉強をする意味ってあるの?という疑問を持つ学生も多くいます。理系では多くの場合、そんな話題は聞かれませんが、文系の場合は大学に行く必要性を問いただす機会が割とあると思います。でも、それって多くの場合、大人になってからですよね。例えば、小学生のときの勉強の中に役に立たないものがあるという意見を言う人がいたとします。その人は小学生のときにはそんなことは言いません。大人になってからじゃないですか?それは何故か?思考能力が発達していないから。まだ不十分だからです。つまり、小学生から勉強をしていくのが、日本の当たり前の光景だが、小学生には勉強が何の役に立つのか?勉強なんてして何の意味があるのか?そんなことを考える力がないのです。

 

親に言われるがままに、周りが学校に通うからという理由で、自分も同じように学校に通う。ただ、それだけでしょう。中学、高校も同様かもしれません。大学進学は約5割の人だから、ここでは考える人も出てきます。大学に行く意味って何なんだろうか?そういったことを考えないで大学進学をする人もいると思いますが、勉強をするには思考能力が必要ですよね。それは論理的に考えて、物事の本質をできるだけ見極めていく力です。単純に知識の暗記だけ済むような分野はあまり関係ないかもしれないが、そうじゃない分野の勉強って、そもそも論理的思考能力が乏しいような年代からやらせてもあまり意味がない気がしてきます。そもそも小学生や中学生は、何のために勉強するのか?学校に通うのか?すら理解していないでしょうし、考えていない生徒が多いと思います。しかし、高校は義務教育じゃないが、何のために通うのでしょうか?ちょっとは考えられる人間が増えてくる時期じゃないか?と思います。それは高校に通わないと、まともな仕事に就けないだろうとか、そういった論理的思考や現実社会の観察ができるような年代になってきたということです。大学に進学する理由も、大学に行っておいた方が就職に有利とか、良い企業に就職しやすい。または人からの評価が上がるとか、すいった事情をもとに判断していると思います。

 

学校に進学する理由は、高校あたりからちょっとは考えられる、自然と考えている人間が増えているはずなのです。でも、高校生も、大学生も、勉強する意味や理由は分からないという人は多くいると思います。それは高校も、大学も進学した理由が勉強をするため。ではないからです。また、何で勉強をするために高校や大学進学をしようと思わないか?のというと、勉強して意味があるの?という疑問を抱えているからです。勉強をする意味があると思えない人間は、卒業するために仕方なく勉強をしている状態だと思います。つまり、勉強は在学中にしかやらないわけですね。高校を卒業して、古典をやる機会ってありますか?ないでしょう。文系の勉強も全てが役に立たないとは思いません。しかし、役に立たせるには、役に立つ機会を生むには、継続的にその事柄に触れる必要があります。古典を例にするならば、高校卒業後に古典を自分でも引き続き勉強するか?古典文学に興味を持って、そういったものを趣味で読んでいくとか、そういったことがあれば、役立つレベルにまで到達する可能性があります。もっと分かりやすい例をあげると、大学で法律を学んだからといって、弁護士はできません。弁護士をするには司法試験に受かるレベルの勉強をしないといけません。つまり、大学で学ぶ程度の勉強では弁護士の仕事にとっては役に立たないと言えると思います。そして、弁護士になるために継続的に勉強をしていくといった行動がなければ、いずれ身に付けた知識は忘れるでしょう。

 

付け焼刃の勉強は意味がないとかいわれることもありますけど、それに近いかもしれない。勉強はある程度深いところまでやらないと、知識が付いただけで終わってしまい、時間の経過とともに忘れていく。しかし、深いところまでやれば、なかなか忘れないどころか、意外と役に立つ場面が増えてきたりするし、役に立たせようと思えたりする。たいてのケースでは役に立たないわけではないが、役に立つケースがくる前に消えちゃっているんですよね。頭の中から。大学受験必死こいて勉強したけど、1年後になったらほとんど覚えていない。そんな学生は多いと思いますよ。でも、その知識が仮に全部残っていたら、一生忘れなかったら、役に立つ機会がくるかもしれません。その可能性は一気に上がります。多くの人が「学校の勉強は役に立たない」言うが、それは恐らく実体験として役に立った経験がないからだと思います。それはその人の言うことから、その人にとってはその通りなんでしょう。でも、そもそも学校で習ったことの大半は覚えていないのだから、そりゃ役に立つわけないという判断になると思います。勉強は役に立たないのではなく、役に立たせられるレベルまで学んでいない。または役に立たせられる機会がくる前に忘れている。これが真理な気がしています。文系で勉強する意味はあるのか?というと、継続的に、深いところまでやるならば意味はあるかもしれないが、そうじゃないなら意味はないという意見も一理あるんじゃないのか?と思います。

 

文系が大学で勉強する意味はあるが、その意味を見出せるほど勉強しないというのが現状じゃないか?と思います。でも、仮に勉強が身につかなくても、現実的には文系であっても大学に進学する意味やメリットはあると思います。理系は研究内容や専攻である程度評価されるような世の中の仕組みになっている。つまり、大学で何を学んだか?どの学部にいたか?ということが結構大切になります。しかし、文系はかなり部分でどの大学にいたか?が重要視され、そこで何を学んだか?はあまり関係ないというか、少なくとも就職を目指す人の場合は、将来的に、勉強をどれだけやったか?何を勉強したか?がほとんど問われない。したがって、大学で学ぶことにこだわりを持たず、大学に通うこと、進学することに意味があるような世の中になっている。そういう世の中が正しいか?どうかは別として、仕組み上なっている以上は、文系であっても大学に行く意味、メリットは十分存在する。大卒と高卒では世間の扱い方が全然違う。文系が勉強する意味は、よほど突き詰めないと生まれるケースは少ないかもしれないが、文系が大学に進学するメリットや理由は十分存在すると言って良いと思います。

あわせて読みたい記事