リア充、非リアも関係ない!楽しい大学生活を送るには?

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現代文の小説が苦手な人は読み方や勉強法のコツでは点数は上がらない?

センター試験の国語では評論と小説が出ます。現代文では主にこの2つが出題されるわけですが、この中で小説の問題が解けないという人もいるのではないでしょうか?小説が苦手だと。私は小説は大して得意ではなかったものの、小説の方が好きでした。それは評論は読むのが疲れるからです。一方、小説は作品の面白い、面白くないにかかわらず、どんどん読み進められるからです。ストレスがないのです。点数に関してはそんなに良いわけじゃないというか、題材によって、問題によって結構差があったと思いますが、そもそも小説で点数を上げるというのは、なかなか難しいと思いますよ。というのも、小説ができない人って、何が原因だと思いますか?小説は登場人物の心情分析がメインなので、心情を理解する、推理する必要があります。でも、推理することはできるが、明確に答えを決めることが本来できるでしょうか?例えば、ある登場人物が笑っていました。この人の今の心情はどういう感じでしょうか?嬉しいんじゃないの?と思う人も多いかもしれないです。

 

でも、笑顔という1つの部分を抜き取っても、いろいろな心情が予想できると思います。例えば、誰かに対する復讐心で燃え滾っているかもしれないです。ありえますよね。ある意味怖い笑顔ですけど。現実的にそういう気持ち人が笑っている可能性は十分ありえます。じゃあ、どちらが正解だと思うの?またはそれ以外の別の選択肢はあるの?となったときにどうやって推理するのでしょうか?現実の小説の問題は描写がもっとあるから、さらに推理のときに使える根拠はあるものの、1つに絶対に絞れるなんてことはありえないと思うんですよね。だって、先ほどの例に戻るけど、笑っている人がどんな気持ちか?ってときにその人が嬉しいのか?復讐心に燃えているのか?を判断するのは、結局自分の感覚じゃないですか?話し全体の流れを考慮したりして、どちらが可能性が高いのか?の判断をするわけですが、自分の感覚です。だから、自分なりの根拠はあるけど、それは根拠ではないわけです。あくまでもヒントでしかないのです。つまり、こういう描写があるから、さすがにこの笑顔は嬉しい気持ちの表れなんじゃないか?と思ったとして、それはその登場人物の嬉しい気持ちを100%証明するものではないわけですよ。恐らくそうなんじゃないか?というものなわけですよね。

 

全問にそういう自分なりの根拠(ヒント)を見つけて、答えていくわけですが、たいていの受験生は全問正解は無理です。平均が6割前後くらいなんじゃないでしょうか?センター試験だと。つまり、自分なりの登場人物の心情を推理する根拠(ヒント)を見つけて、それをもとに恐らくこういう気持ちなんじゃないか?と推理をしても、4割くらいは外れるってことです。それはどういうことか?っていうと、出題者と感覚が違うということなんですよね。ヒントにする部分、自分なりに見つけた根拠の部分は多分出題者と受験生でそんなに変わらないんじゃ?と思うのですが、出題者が設定した答えと受験生が選ぶ答えが全然違うとなると、それは同じ根拠を目の前にして結論が違うわけだから、感覚が違う以外の何物でもないということです。これはどうしようもない部分に近いと思います。現代文の小説が苦手な人、できない人はどうしようもないかもしれないのです。1番分かりやすい例をあげると、常識と非常識という言葉があるじゃないですか?世の中の全員が常識的な人間ならば常識とか、非常識という言葉は必要ないですよね?非常識な人間がいるから常識という言葉があるわけですし。つまり、例えば味噌汁にマヨネーズを入れて食べる人がいれば、それは非常識かもしれない。でも、多くがそれをやらないならそっちが常識になります。マヨネーズを味噌汁に入れる人間は、感覚的にそれが美味しいと思えるからですよね。つまりです。ある1つの物事に関して、全部常識的な感覚を持ち合わせている人間なんかいないはずなんです。非常識な部分があって当たり前なんです。

 

そうなれば、現代文の小説が苦手な人は一般常識よりも違う感覚を多く持っているという見方もできるかもしれません。多くは正解選択肢を選べるのに、自分はそれを選べないとなれば。それはもう感覚の問題でそれを矯正する方法があるのか?分からないが、感覚を矯正できなければなかなか点数は上がらないでしょう。または自分の感覚が多数派に多くがなるような問題が出た試験のときには高得点になりますが、そうじゃないときにはそれは厳しいとなるのです。出題者にも同じく感覚っていうものがありますから、出題者の感覚に近いものを持っている人は有利ですよ。先ほども言いましたが、すべえての事柄で常識的な人間はいないならば、全ての事柄で多数派の感覚を持っている人間もいません。そうであれば、現代文の小説問題で満点をとるっていうのは、相当ハードルが高いということです。出題者と同じような感覚の人間は満点をとりやすいかもしれないが、そうじゃない人間は苦戦するのが現代文の小説だと思います。現代文の小説の問題の勉強法や読み方などを解説しているサイトや参考書などもあると思うんですけど、それがどこまで有効か?は分かりません。小説における登場人物の心情分析に対しての自分の感覚を矯正できるならば、効果はあるかもしれません。でも、私が見た感じだと、現代文の小説問題の解き方、解くコツや読み方のコツを解説しているサイトの中で、なぜその方法を実践すると良いのか?点数が上がるのか?まで述べているところがないんですよね。方法論や勉強法は書かれているが、それがなぜ有効なのか?の根拠がないところが多く、結局現代文って、曖昧な科目にとても思えてくるのですが。だから、現代文自体がなかなか安定しないという人が多いと思いますが、それはそこが原因だと思います。現代文が非常に得意で得点源にできる人はあまりいない気もするのですが、感覚的な問題がある意味優れている。現代文に秀でた感覚を持っている人は点数がとりやすいと言えるのかもしれないが、出題者の感覚如何で正解が決まるというのも科目としてどうなんだ?という気がしますがね。出題者も、受験生も、自分なりの根拠を見つけて、それを踏まえて自分なりの正しいと思った、妥当と思った感覚で答えを選ぶわけですから、どっちが正しいとか言えるのか?が疑問ですよ。どっちも可能性として存在する。ただ、それだけのような気がします。

 

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