記念受験をする人の心理はなんのため?迷惑だからは否定理由にならない
記念受験というのはいろいろなところであります。就活や大学受験などです。記念受験というのは、一般的には合格の望みがほとんどないのに、受験するということでしょうか?大学受験で言うならば、模試でE判定しか出ていないようなところを受けるということになるかもしれません。記念受験は否定派の人もいるみたいですが、肯定派の人もいます。私はちなみに肯定派です。今から10年くらい前になるけど、私が高校生のときに駿台予備校だったと思うけど、そこの講師の人がきていて、「可能性がどれだけ低くても第1志望だけは絶対に受けてくださいね?万が一ということがありますから」ということを言っていたのを覚えています。ということ、その講師は記念受験を肯定していたということになると思います。記念受験は万が一ということがあるわけですよね。実際に記念受験で受かったという人はいるはずです。ただ、記念受験というのは、本人の主観の問題なので、定義があるわけじゃないです。だから、どこからが記念受験なのか?という問題があるわけですが、そこがはっきりしないわけです。だから、人から見たら記念受験に見えるが、本人は記念受験とは思っていない可能性もあります。
そして、記念受験は迷惑ということ言っている人もいるみたいですね。何がどう迷惑なのか?というと、大学側とか迷惑ってことなんでしょうかね?一般入試の場合はともかく、推薦やAOとかだと面接とか、書類選考などの負担がかかることになる。だから、生半可な気持ちで受験をすると、そういったことを負担する人間にとって迷惑ということなのかもしれませんが、そもそも生半可な気持ちか?どうかを評価するのが難しいでしょう。そして、現実的に合格可能性が高いところを優先して対策をした結果、合格可能性が低いところは対策がおろそかになる。これを生半可と評価するのかもしれませんが、それは受験生から見たときの合理的な判断でしかないと思うのです。そりゃ合格可能性が低いところの対策を無茶苦茶時間をかけてやったら、合格可能性が高そうなところの対策がおろそかになり、受かるはずのところまで落ちる可能性があるわけです。ならば、受かる可能性が高いところに時間を使って、そうじゃないところにあまり時間を使わないというのは受験生から見れば合理的な当然の判断だと思います。
もちろん、受かる可能性が低いところに時間を使うということをしても構わないです。それぞれの受験生の判断なので、正解はありません。だから、受験生の都合を優先させた結果、受験先に迷惑がかかるというのはあるけど、それは同じじゃないですか?受かる見込みがない人は受けるな!ということを言ったとしても、それは受験先の手間が減るという点において合理性があるというだけであって、合理性を優先しているのはどっちも同じなんですよ。受験先の合理性は優先するけど、受験生の合理性は優先しないというのは、なぜ同じような問題なのに結論を分ける必要があるのか?分かりません。生半可な気持ちに見えるのは、適当な気持ちで受けているわけではなくて、(合理性を考えて)対策がそこまで行き届いていないけど、気持ちはそれなりに本気で、入りたい気持ちが強いというケースは結構ある気がするのです。記念受験は迷惑だとしても、記念受験をできないとなれば、それも受験生にとっては迷惑じゃないですか?だから、迷惑を理由に記念受験の是非を話してもしょうがないと思うのです。
それに記念受験がダメだとなると、滑り止めもダメでしょう。滑り止めはそこに進学する可能性が低い。つまり、滑り止めとしてある大学のAO入試とかを受けている人もいるわけだけど、その滑り止めとして受けている人の大半は進学しないわけですよ。落ちた人はもちろんだが、滑り止めとして受けている以上、受かっても進学しない可能性の方が高いと思います。記念受験と滑り止めって同じような状況を生む気がしますけどね。記念受験と滑り止めが両方ダメだという理屈ならまだ分かりますが、記念受験だけダメで、滑り止めは良いと言われるのはよく分かりません。あとは他にその大学を第1志望にしていた人が可哀想という意見もありますが、これはなんか違う気がする。何が違うか?っていうと、記念受験の捉え方が違くないか?と思います。記念受験について調べてみると、進学する気がないのに記念に受けておくみたいな風に捉えている人もいれば、合格可能性を度外視して、有名な大学や憧れている大学を受けること。みたいな定義が見つかりますが、私が言っているのは後者の方に近いですね。前者の定義で言うと、万が一受かっても進学する気がないならば確かに、第1志望で頑張っている子が可哀想という意見も分からなくはないが、そうなると滑り止めも同じような状況を生みますよね。という話に戻ります。
私は後者の意味合いで捉えているので、憧れている大学などを受けるという時点で、受かったら進学すると思うんですよ。だから、この第1志望で受けている子が可哀想という意見は、こっちの記念受験の定義には当てはまらない気がします。記念受験の手以後や意味がはっきりしないとなれば、この問題について語る意味もなくなってくるかもしれないが、記念受験をする人の心理としては、私はその大学とかに行きたいという思いがあってこそだと思うのです。その大学とかに行きたい気持ちがないのに、受ける意味は正直私も分かりません。どんな意図があるのでしょうか?なんのために記念受験をするのか?といえば、大半はそこに行きたいからだと思います。合格可能性があまりにも低いならば受けないという選択肢をする人もいますが、万が一に期待をする人もいますし、落ちたとしても受けないで後悔するならば、受験してちゃんと落ちて自分を納得させたいとか、そういう意味合いもあるかもしれません。記念受験はなんのためにするのか?という理由は人によって違うでしょうけど、そこは考え方の差なので、記念受験をする人が間違っているとは思わないですし、しない人がいるのも当然かな?と思いますけどね。
記念受験は大学だけじゃなくて、高校や中学、小学校受験とかでもありえますし、就活でもありえます。記念受験をしたとしても、それが記念受験か?どうかは第3者にはまず分からないでしょう。受けた先の人間と自分本人(またはその家族)くらいであって、記念受験をしたことがまず判明しないですよ。記念受験をする人の心理は個人的にはなんとなく分かります。受けないと納得できない人もいると思うんですよね。だから、自分自身の割切りの意味合いがあると思いますよ。記念受験をする人の心理は理解できない人もいるとは思うが、こういう言葉が浸透しているということは、多くが実際にやっているということなのではないでしょうか?記念受験は定義や意味が曖昧みたいなので、そこで意見の食い違いもあるとは思いますけど。
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